大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成2年(ネ)796号 判決 1991年12月04日

控訴人

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

濱秀和

大塚尚宏

宇佐見方宏

被控訴人

陳邦畿

右訴訟代理人弁護士

水上喜景

遠山泰夫

中川徹

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  被控訴人は、控訴人に対し、一億四五三三万一七二〇円及びこれに対する昭和六一年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  当審で追加された控訴人の請求のうち、その余の部分を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審を通じて二分し、その一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

五  この判決は第二項に限り、仮に執行することができる。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  控訴人

A  第一請求

(一) 原判決を取り消す。

(二) 被控訴人は、控訴人に対し、二億八四五七万〇二二九円及びこれに対する昭和六一年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(三) 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

(四) 仮執行宣言

B  当審で追加された第二請求

(一) 被控訴人は、控訴人に対し、二億八四〇二万七四九〇円及びこれに対する昭和六一年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は被控訴人の負担とする。

(三) 仮執行宣言

2  被控訴人

A  第一請求に対する答弁

本件控訴を棄却する。

B  第二請求に対する答弁

(一) 控訴人の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は控訴人の負担とする。

二  当事者の主張

当事者双方の主張及び証拠の関係は、原判決事実摘示並びに当審における書証目録及び証人等目録のとおりであるから、これを引用する。

ただし、次のとおり付加、訂正する。

1  原判決書二丁表五行目の次に行を改めて「A 第一請求」を加える。

2  三丁表六行目「原告」を「被告」に、同丁裏末行「報酬を」を「報酬の」に、それぞれ改める。

3  五丁裏五行目の次に行を改めて次のとおり加える。

(三) 仮に、昭和六一年一〇月当時においては、委任状不交付により残存委任事務の完了が妨げられたといえないとしても、現在では、控訴人は、委任状を必要としない事務をすべて完了している。

すなわち、①控訴人は、平成二年四月五日、東京法務局大森出張所登記官に対して本件不法建物の滅失登記手続をするように職権発動を促し、同月一一日、滅失登記(正確には閉鎖登記)手続がなされた。②本件土地に経由されている塩田名義登記の抹消登記手続に関しても、塩田は、平成元年一〇月二五日、被控訴人及び王子栄華(以下「王子」という。)から債務の弁済を受け、右登記の抹消等に必要な書類は、王子に交付済みである。そこで、控訴人は、王子に対し、右登記手続に必要な書類の交付を受けながら登記手続をなさず放置しているのは不当であるから速やかに登記手続をするよう通告した。しかし、王子は現在まで右登記手続をしない。王子は被控訴人のために行動している者であり、この点から見て被控訴人は抹消登記手続の未了を容認しているというべきである。

4  六丁裏一〇行目の「及び被告の主張」及び同所一一行目を削除する。

5  七丁表六行目「争う。」の後に「(三)は否認する。」を加え、一〇行目「なんら履行」を「現時点でも完了」に改める。

6  七丁裏七行目から八丁表二行目までを次のとおり改める。

三  抗弁

1  本件委任契約に基づく委任事務が完了しないまま、本件委任契約が終了したために、これに基づく報酬請求権は発生しない。

(一)  控訴人は、被控訴人に対し、昭和五四年七月一二日、仮処分決定を取得し、当事者間に訴訟係属が生じた。その結果、本件委任事務の受任者である控訴人が委任者である被控訴人の代理人として行動することが許されないものとなり、本件委任契約は当然に履行不能に確定し、その存在理由を失って終了した。

(二)  委任事務処理には常識的な意味での時間制限があり、その制限内に委任事務処理をしなければ、もはや債務の本旨に従った履行ということができない。本件においては、登代子らの不法占有の排除を完了した時点(昭和五三年)から前記仮処分のなされた時期までの間、控訴人が塩田名義の登記の抹消をするについて十分な余裕がある。したがって、遅くとも、この仮処分のなされた昭和五四年七月一二日には本件委任契約が終了した。

(三)  控訴人と被控訴人との間において、その後七年間訴訟が続き、信頼関係の回復は完全に不可能になった。本件委任契約は、遅くとも昭和六一年九月三〇日までには履行不能に確定して終了した。

(四)  控訴人は被控訴人に対し、昭和六一年一〇月三一日到達の内容証明郵便をもって、本件委任契約を解約する旨の意思表示をした。

2  被控訴人は、控訴人に対し、昭和五二年ごろ、報酬金として五五〇万円を支払った。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1のうち、(四)の事実は認めるが、その余は争う。

2  抗弁2の事実は否認する。

7 八丁表二行目の次に行を改めて次のとおり加える。

B 第二請求

一  請求原因

1  A一請求原因1ないし4を援用する。

2  (委任契約の半途終了)

(一)  A一5(一)に同じ

(二)  控訴人は被控訴人に対し、昭和六一年一〇月三一日到達の内容証明郵便によって、被控訴人から委任状が交付されない以上、別件控訴審判決の摘示した残存事務を履行することはできないとして、本件委任契約を解約する旨の意思表示をした。

(三)  控訴人は被控訴人に対し、有償委任契約として、民法六四八条三項に基づいて、本件委任契約の解約までの事務処理についての報酬を請求することができる。

3  (受任者の責に帰すべからざる理由)

(一)  別件第一審判決は、昭和五九年一〇月二七日言い渡され、そのころ控訴人及び被控訴人に送達された。控訴人は、右判決を不服として控訴したが、残存事務があるとした右判決の認定・判断に一応従い、右残存事務を履行するため、被控訴人に対し、委任状の交付を求めることとした。そこで、控訴人は、別件控訴審が継続中の昭和六一年六月一六日、日本国内より台湾台中市在住の被控訴人に対し、本件不法建物の滅失登記申請手続及び本件建物に経由されている登代子名義の所有権移転仮登記・抵当権設定登記の抹消登記申請手続を控訴人に委任する意思があるのであれば、控訴人としても受任する意思があるから、別添の委任状に署名押印のうえ、五日以内に返送するよう記載した書留郵便を発送した。しかし、右返答期間がすぎても、被控訴人から返事はなく、委任状の交付もされなかった。

(二)  被控訴人から委任状の交付がなされないまま、昭和六一年七月七日、別件控訴審判決が言い渡され、そのころ控訴人及び被控訴人に送達された。別件控訴審判決においても、控訴人が残存事務を履行しておらず、本件委任に基づく事務は未了であるとの認定・判断が示された。控訴人は、右判決を不服として一応上告したが、右控訴審判決の認定・判断に従って、残存事務の履行をしようと考え、被控訴人に対して、再度委任状の交付を求めることとした。控訴人は、当時日本国と台湾間には国交がなかったこともあり、確実に被控訴人から委任状の交付を受けるために、自ら台湾に渡航して台北市に赴いた。そして、控訴人は、昭和六一年一〇月一五日、大略左記の記載のある内容証明郵便を作成し、被控訴人に対して発送した

(1) 被控訴人が控訴人に対し、①本件不法建物の滅失登記申請手続、②本件建物に経由されている登代子名義の所有権移転仮登記・抵当権設定登記の各抹消登記申請手続、③本件土地に経由されている塩田名義登記の各抹消登記申請手続を委任する意思があれば、本書面到達の日から五日以内に、別添の委任状に署名押印のうえ、宿泊先である金府大飯店八〇三号室気付控訴人宛て返送すること

(2) 塩田に対する債務は、昭和五四年六月二九日、王子によって弁済されているが、紛争解決を図る観点から、控訴人は、被控訴人の塩田に対する債務について立替払いをする意思があること

(三)  右内容証明郵便は、昭和六一年一〇月一六日、被控訴人に到達したが、返答期間の満了する同月二一日に至っても、被控訴人は控訴人に対し、何ら応答することなく、委任状も交付しなかった。さらに、控訴人は右返答期間満了後も、台北市内の前記宿泊先に滞在して、被控訴人からの委任状の交付を待ったが、同月二七日を経過しても、被控訴人から何らの応答もなかった。

(四)  以上のとおり、控訴人は台湾台北市まで赴いて、残存事務である塩田名義登記の抹消登記手続を行なうためにこれに必要な委任状の交付を求めたにもかかわらず、被控訴人がこれを交付せず、これにより本件委任契約が終了したのであるから、控訴人において受任者としての落度は全くなく、本件委任の終了が受任者の責に帰すべからざる事由によるものであることは明らかである。

4  (報酬額等)

(一)  報酬

(1) 本件委任契約によれば、委任事務の完了と同時に成功報酬として本件土地建物の時価の六割が支払われることになっている。そして、右の時価は、右解約時の時価によるべきであるところ、右時点である昭和六一年一〇月当時の本件土地建物の価額は、近隣土地の取引事例に照らすと坪四四九万円を下らず、本件土地価額は総額四億六六九六万円を下回らない。また、右当時の本件建物の価額は五〇〇万円である。

(2) 本件委任契約全体に対する残存事務の割合は、委任事務全体を処理するのに一〇年(三六五〇日)を要するとして、残存事務処理に必要な時間は七日を超えることはないので、三六五〇分の七と評価することができるから、右割合相当額五四万二七三九円を控除した二億八二四五万七二六一円が本件委任契約解約までに、控訴人が処理した労務に対する報酬額となる。

(二)  A一6(二)に同じ

5  よって、控訴人は被控訴人に対し、委任契約に基づく報酬金二億八二四五万七二六一円及び立替金一五七万〇二二九円の合計二億八四〇二万七四九〇円及びこれに対する本件委任契約の解約の日の翌日である昭和六一年一一月一日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  A二の1ないし4を援用する。

2  請求原因2(一)、(二)の事実は認め、(三)は争う。弁護士の報酬は、第一次的には弁護士と依頼人との自由な合意により、第二次的には弁護士会の報酬規定により、それぞれ決定する。そして、弁護士会の報酬規定は、一つの成文化された法規範であって、一般法である民法の委任契約の規定に対し特別法の関係となり優先的に適用される。ところが、弁護士会報酬規定には、控訴人が主張するような委任契約の半途終了における受任者の報酬請求(以下「出来高払い」という。)の規定は存在しない。これは弁護士報酬について出来高払いを認めない趣旨である。

3  同3の事実は否認する。

委任状の不交付について控訴人に落度がないことが問題ではなく、控訴人が解除をしたことについての責めが控訴人にないことが必要である。しかし、控訴人がその自由意思で一方的に本件委任契約を解約した以上、委任契約終了の責めが控訴人にあるのは当然である。

4(一)  同4(一)は否認する。

(二)  A二6(二)に同じ

三  抗弁とそれに対する認否

A三2とA四2に同じ

理由

一争いのない事実

原判決書九丁表二行目から同丁裏六行目までを引用する。

二本件委任契約に基づく事務の履行及び残存事務の存在

原判決書九丁裏七行目「1」から一五丁表末行までを引用する。ただし、一二丁表三行目「訴外王子栄華(以下「王子」という。)」を「王子」に改め、一四丁裏一〇行目「右立替費用」の後に「相当金員」を加える。

三第一請求について

1  (本件委任状不交付)

原判決書一六丁表二行目「原本の」から一八丁表五行目までを引用する。ただし、一八丁表三行目「2」を削除する。

2  (残存事務の存在)

原判決書一八丁表六行目から二〇丁表末行までを引用する。ただし、一九丁表三行目「二三〇万円」の次に「の」を加え、二〇丁表五行目から末行までの括弧及び括弧内を削除する。

3  (本訴口頭弁論終結時の残存事務)

(一)  次に、控訴人は、昭和六一年一〇月当時においては、本件委任状不交付により残存事務の完了が妨げられたといえないとしても、現在では、控訴人は、委任状を必要としない事務をすべて完了していると主張する。

なるほど、<書証番号略>及び証人王子の証言並びに弁論の全趣旨によれば、控訴人が、平成二年四月五日、東京法務局大森出張所登記官に対して本件不法建物の滅失登記手続をするように職権発動を促し、同月一一日、滅失登記(正確には閉鎖登記)手続がなされたこと、塩田が有する被控訴人と王子に対する債権は平成元年一〇月二五日に完済になり、本件土地に経由されている塩田名義登記の抹消登記手続に必要な書類は王子に交付されていること、千歳農協が王子に有していた貸付債権も現時点では存在しないこと、控訴人は王子に対し、平成二年六月九日到達の内容証明郵便により、右登記手続に必要な書類の交付を受けながら登記手続をなさず放置しているのは不当であるから速やかに登記手続をするよう通告したこと、王子は現在まで右登記手続をしないこと、王子が、これまで被控訴人のためその代理人的地位のもとに行動していた者であること、以上の事実を認めることができる。

(二)  これに対して、被控訴人は、まず、本件委任契約につき、昭和五四年七月一二日時点における終了又は昭和六一年九月三〇日時点での終了を主張する。

よって検討するに、<書証番号略>、証人王子の証言及び控訴人本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 控訴人は、昭和五三年秋ころまでには、本件土地建物に関する委任事務については、概ね成功裡に終了しつつあり、そのうえで、本件土地建物を売却すべく準備をすすめつつあった。

(2) しかるところ、被控訴人が、昭和五四年六月二日、控訴人の招請に応じて来日し、本件土地建物に関する善後策及び控訴人に対する報酬問題について控訴人との間に話し合いがなされた。ところが、両者間に磯村や鈴木とめらから取得した前記二1(五)記載の金員の処理について紛議が生じ、さらに、控訴人にとっては、被控訴人が控訴人に対する報酬を支払わないで済ませようとするかのように受け取れる言動をなした。また、後には、時期は必ずしも定かではないが、被控訴人は、本件委任契約に基づく成功報酬が本件土地建物の時価又は権利の二割であるとし、控訴人が紛争解決のための税金等一切の費用を自己負担したときに始めて六割とする約定であったと主張するに至った。このために、控訴人は、被控訴人を債務者として、昭和五四年七月一二日、本件委任契約における報酬約束に基づいて取得したという一〇分の六の本件土地建物持分所有権を被保全権利として、本件土地建物の所有権一〇分の六について処分禁止の仮処分をなすに至った。

(3) この後、控訴人及び被控訴人間の前記別件訴訟が提起された外、被控訴人に対する懲戒申立てがなされ、刑事告訴事件等が我が国及び台湾において相互に起こされ、以降、昭和六一年一〇月二七日時点でも両者間の紛争が継続していた。

以上の事実を認めることができる。

右事実によれば、控訴人の主張する各時点、殊に昭和六一年九月三〇日の時点では、本件の控訴人と被控訴人との間の信頼関係は殆ど失われかけていたことは疑いを容れない。しかし、右各時点まで、控訴人及び被控訴人の両者ともに、本件委任契約を解約する旨の意思表示をなした形跡はなく、かえって、前記のとおり、控訴人は、被控訴人に対し、本件委任契約の完遂のために、残存事務の履行に必要な委任状の交付を求め、被控訴人の居住する台湾まで赴いているのであり、これら事情を斟酌するならば、未だ本件委任契約が終了したとまで評価することは相当ではない。

なお、被控訴人は委任事務処理に関しては時間制限があると主張するが、このように解すべき根拠はない。

(三)  しかしながら、控訴人が被控訴人に対し、昭和六一年一〇月三一日到達の内容証明郵便によって、被控訴人から委任状が交付されない以上別件控訴審判決の摘示した残存事務を履行することはできないとして、本件委任契約を解約する旨の意思表示をし、これが被控訴人に到達したことは当事者間に争いがないところであり、したがって、本件委任契約は、右意思表示により終了したことは明らかである。

(四)  したがって、右解約による本件委任契約終了後になされた前記認定の本件残存事務の履行は、いずれも本件委任契約に基づくものであるということができない。すなわち、本件委任契約は、右の解約の意思表示により未完成のまま結了したことになる。

よって、被控訴人の抗弁1(四)は理由があり、控訴人の第一請求は失当である。

四第二請求について

1  (委任契約の半途終了)

控訴人が被控訴人に対し、昭和六一年一〇月三一日到達の内容証明郵便によって、本件委任契約を解約する旨の意思表示をしたことにより、本件委任契約が半途終了したことは前記説示のとおりである。

2  (半途終了時の報酬請求権)

ところで、委任契約に基づく弁護士の報酬支払請求権は、まず第一次的には当事者間の約定により決定され、これが定めのない場合、民法の適用を受けると解するのが相当である。

本件委任契約における報酬に関する定めについてみるに、被控訴人が控訴人に対し、着手金を支払わず、委任事務処理に必要な費用も控訴人が立替えて支払うこととし、委任事務の処理が成功裡に完了したときは、被控訴人は控訴人に対し、右立替費用を支払い、かつ成功報酬として本件土地建物の時価の一〇〇分の六〇に相当する金員を支払うか、本件土地建物に対する所有権の持分一〇〇分の六〇を与えることとし、いずれの報酬を選択するかは控訴人の意思に委ねられることとしたことは既に説示したとおりである。しかしながら、<書証番号略>によれば、本件委任契約に基づく事務処理が途中で終了した場合については、特段の定めをしなかったことが認められる。もっとも、<書証番号略>によれば、本件委任契約書に「右以外の事項については所属弁護士会報酬規定に準じて約定致します」との記載が存在するが、控訴人所属の東京弁護士会弁護士報酬会規にも委任事務が半途終了した場合の報酬算定方法を定めた規定は見当らない。したがって、原則に立ち返り、本件においても民法六四八条三項の適用があるというべきである。

これに対し、被控訴人は、弁護士会の報酬規定に出来高払いの規定がないことは、弁護士報酬について出来高払いを認めない趣旨であると主張する。しかし、出来高払いについて当事者間に合意がなく、かつ弁護士会報酬規程にその旨の定めがないということが、合意又は規程以外の報酬支払方法を一切認めないということを意味するとまでは解することはできず、むしろその欠缺部分につき民法が補充的に働くといわなければならないから、右主張は採用の限りではない。

3  (帰責原因)

(一)  民法六四八条三項は、「委任カ受任者ノ責ニ帰スヘカラサル事由ニ因リ其履行ノ半途ニ於テ終了シタルトキハ」受任者はその既になした履行の割合に応じた報酬請求権を有することを定める。

そこで、半途終了についての帰責事由の所在を検討するに、控訴人が被控訴人に対し、昭和六一年一〇月三一日、本件委任契約を解約する旨の意思表示をしたことによって、本件委任契約が終了したことは前記認定のとおりである。被控訴人は、控訴人がその自由意思で一方的に本件委任契約を解約した以上、委任契約終了の責めが控訴人にあるのは当然であると主張する。しかしながら、着手金及び費用についての授受がない本件において、受任者側からの解約があった場合には常に同条の適用がないとするのは相当ではなく、解約に至る経緯ないしは原因に基づき、解約告知がやむをえないかどうかをもって決すべきであると解される。けだし、受任者は委任事務に関して善管注意義務を負担する等、委任契約に基づくさまざまな義務や拘束を負うものであるが、着手金等の授受のない場合においてさえ、不誠実な委任者との間において右の負担を免れるためには、その時点までに履行済みの受任事務に関する報酬を一切放棄せざるをえないとするのは不当であるからである。

(二) 右の観点から本件をみるに、前記三3(二)において認定した事実によれば、控訴人は、昭和五三年秋ころまでには、本件土地に関する委任事務については概ね成功裡に終了しつつあったが、被控訴人が、昭和五四年六月に来日して控訴人との間に話し合いがなされた際に意見の相違があったうえに、控訴人にとっては、被控訴人が控訴人に対する報酬を支払わないで済ませようとするかのように受け取れる言動をなしたことが本件の紛争の発端であるとみるべきであり、そして、控訴人が、自らの本件委任事務処理の報酬や立替金相当金の保全を図るため、本件土地建物に不動産仮処分事件を申請したことが契機となって、前記別件訴訟が提起されるなどし、その後永年にわたって紛争状態が継続しているというべきである。

さらに、前記二及び三1において認定した事実によれば、控訴人は、別件第一審判決に対して控訴する一方で、右判決が存在するとした残存事務を履行するため、被控訴人の委任状の交付を求めることとして、台湾在住の被控訴人に対し、本件不法建物の滅失登記申請手続等に必要な委任状の返送を求める旨の書留郵便を発送したが、被控訴人からの返答はなかったこと、その後なされた別件控訴審判決も、残存事務が存在するとの判断を示したが、控訴人が、別件控訴審判決の認定・判断に従って残存事務を履行するためにも被控訴人の委任状が必要であると考え、控訴人は、台湾に渡航して台北市内から被控訴人に対して、本件不法建物の滅失登記申請手続、登代子名義の所有権移転仮登記・抵当権設定登記の各抹消登記申請手続、塩田名義登記の各抹消登記申請手続に必要な委任状の交付を求めた内容証明郵便を発送し、これは被控訴人に到達したが、その返答を得られなかったこと、そして、控訴人は、被控訴人から右委任状が交付されない以上、別件控訴審判決が摘示した残存事務を履行することはできないとして本件委任契約につき解約の意思表示をなしたために、これに基づく事務が半途終了したこと、以上の事実が明らかである。

(三) 本来、委任は当事者間の信頼関係を基盤として成立するものであるから、受任者たる控訴人は、本件委任契約に基づいて委任事務を誠実に履行し、これを完了させるべき義務を負担しているというべきであるが、一方、委任者である被控訴人において、その対価として報酬を支払う義務を負担するだけで委任事務処理に関して全く負担がないと理解することはできない。すなわち、委任者は、自ら委任契約を解約しない限り受任者の委任事務処理を妨げてはならないことは当然であるが、さらに信義則上、委任事務遂行に消極的であってはならず、むしろ積極的に必要な協力行為をする義務を負うと解すべきである。本件において、控訴人は、別件第一審判決及び別件控訴審判決によって指摘された残存事務を履行する義務を負担しているのであるから、そのためには(殊に塩田名義登記の各抹消登記申請手続のためには)、被控訴人の委任状の交付が不可欠であると考えられる。しかるに、被控訴人は、控訴人に対する報酬を支払わないで済ませようとするかのように受け取れる言動をなしたうえに、自分の方から積極的に事由を示して本件委任契約の継続を解消しないまま、右の委任状を交付しないという事情に加え、当時の当事者間で各種の訴訟が係属していたことを総合すると、もはや当事者間の信頼関係は破綻しているとみるべきであり、控訴人がなした本件委任契約の解約はやむをえないといわなければならない。

したがって、本件委任契約の半途終了は、「受任者ノ責ニ帰スヘカラサル事由」によるとしなければならない。

4  (報酬額)

(一)  被控訴人は、控訴人との間で、委任事務の処理が成功裡に完了したとき、成功報酬として本件土地建物の時価の一〇〇分の六〇に相当する金員を支払うか、本件土地建物に対する所有権の持分一〇〇分の六〇を与える旨約したこと、しかし、控訴人が本件土地建物の時価の一〇〇分の六〇に相当する金銭の給付を選択し、控訴人の報酬請求権は、本件委任契約時に遡及して右金員の支払請求権に特定したことは既に認定したところである。

(二) そこで、右報酬契約について検討する。弁護士の報酬は、当事者間の合意により決定されるというべきであるが、一般に委任契約は当事者間の信頼関係を基礎とし、したがって他の契約関係に比較すると信義誠実の原則と衡平の原則が強く支配するといわなければならず、この関係は法律専門職たる弁護士とその依頼者との委任契約においてはより一層強調されて然るべきである。そうすると、弁護士の報酬額に関しても、当事者間の合意にすべて拘束されるとするのは妥当ではなく、依頼された事件の難易、労力の程度、所要時間の多寡、弁護士会報酬規定の内容その他諸般の事情を総合考慮して、信義誠実の原則と衡平の原則に基づき約定の範囲内においてその報酬額を減額することができると解するのが相当である。

これを本件についてみるに、<書証番号略>並びに弁論の全趣旨を総合すると、本件委任契約の対象である事件の内容は、本件土地建物の所有者であった亡陳昆山の死亡により、その所有権を取得した被控訴人が、その所有権を有すると主張する登代子及びその両親らの占有を排除することを求めるものであるが、本件土地建物に関しては、多数の登記が経由されており、これらを整理することも委任事務の内容であったこと、本件委任契約は訴訟事件としても成否が不分明で容易に完了するものではなく、処理には相当の経費と労力・時間を要することが当初より予測されたのに、被控訴人は台湾に在住して資力の無いことを理由として、着手金を支払わず、委任事務に必要な費用一切を控訴人が立て替えて支払うこととし、委任事務が成功した場合に被控訴人が控訴人に対して立替費用及び報酬を支払うことを約したこと、したがって、仮に登代子らに対する明渡訴訟が敗訴に終わった場合などは、控訴人は費やした精神的・肉体的労力に対する対価は勿論のこと、立て替えた費用に関してさえ全く回収できないという危険を負担すること、しかし、控訴人は、昭和四四年から昭和五三年までのおよそ九年間、原判決添付の事件目録記載の各事件の処理に当たり、合計三五件の訴訟、保全、執行等の事件を担当して、被控訴人の目的をほぼ達成するに至ったこと、本件事件の内容は、相互に関連して複数の者を相手とせざるをえず、また争点も少なくなかったこと、被控訴人が中華民国国籍で台湾に在住していたことから、控訴人との間の通信連絡と打合せに不便があり、さらに同国の婚姻、相続制度と日本のそれとの関係等の国際私法上の法律問題が伏在していたことから、通常民事事件と比較しても相当の時間と労力それに多額の立替費用を要したことが認められる。これらの本件委任契約に基づく事務内容、処理経過、その複雑困難性、受任者たる控訴人が負担する危険等の事情に鑑みるならば、通常の訴訟事件の場合と異なり、高額の報酬を約したとしても不合理ではないということができよう。

しかしながら、右の事情を考慮したとしても、本件土地建物の時価の一〇〇分の六〇に相当する金員(又は本件土地建物に対する所有権の持分一〇〇分の六〇)という成功報酬は高額に過ぎるということができ、これを信義則と衡平の原則により適正な範囲まで是正する必要があると考えられる。けだし、後記認定のとおり、本件土地建物の昭和六一年一〇月三一日における価額は、四億一八九七万七〇〇〇円と評価すべきところ、これを経済的利益として現行の日本弁護士連合会(以下「日弁連」という。)報酬等基準規程(平成元年五月二七日改正)によりその着手金及び報酬金を算定すると、いずれも一八七三万八六〇三円(合計三七四七万七二〇六円)が増額許容範囲の上限となり、これは本件土地建物の時価の約8.9パーセントにすぎない。もっとも右規程は、その第四条において、依頼を受けた事件等が特に重大若しくは複雑なとき、審理若しくは処理が著しく長期にわたるときは、前記標準にかかわらないで公正かつ妥当な範囲内で増額することができる旨定めているが、この規程を勘案したとしても、右許容範囲に照らせば本件委任契約における報酬約束は過大であるといわざるをえない。しかも、<書証番号略>によれば、本件の報酬契約がなされた昭和四四年当時の日弁連報酬等基準規程第三条一項一号では、手数料及び謝金を合計して目的の価額の五割を超えてはならない旨規定されていたこと(もっとも、同規定は昭和五〇年四月一日の改正により削除された。)が認められる。そこで本件委任契約の対象事件の内容を顧みると、先に説示したように、通常の訴訟事件よりも遥かに困難な事件であるというべきであるが、事件の性格そのものは、不動産の所有権をめぐる一般的な紛争であるうえに、集団訴訟のように大量、多数の当事者を相手方とするものではなく、また、国際私法上の法律問題はあるとしても、弁護士としては、特殊かつ高度な知識、技術又は経験が必要不可欠というわけではない。執行事件についても暴力団等による執行妨害行為がなされた形跡はなく、その実施に特段の障害があったことはうかがえない。

以上のとおりであって、前記の昭和四四年当時及び現行の各日弁連報酬等基準規程の趣旨及び内容を斟酌し、本件委任契約の対象事件の性格、内容及び処理経緯に鑑みると、本件委任契約の報酬額は、本件土地建物の時価の四割に上限を画するのが相当であり、その限度内でのみ本件報酬の合意に効力を認めるべきである。

(三)  本件委任契約に基づく事務は、その終了時点である昭和六一年一〇月三一日において、本件残存事務が未了であったことは前記認定のとおりである。よって、既になした履行の割合を検討する必要がある。

ところで、証人王子の証言及び弁論の全趣旨によれば、本件土地建物は、被控訴人の所有に属するものであるが、被控訴人は台湾に居住し、本件土地建物を自ら利用する意図を有するものではないこと、したがって、本件土地建物を売却してその利益を得ることが目的であること、被控訴人自らは現在みるべき資力がないことが認められる。のみならず、本件委任契約における控訴人に対する報酬も本件土地建物からの売得金から充てざるをえないから、報酬の源資を確保するためには本件土地建物を売却することが必要不可欠であり、現に控訴人は被控訴人を日本に招請した際には本件土地建物を他に売却すべく、その準備をしていたこと及びその売却方法と処理のあり方が両者の不信の一因となっている。これらの事情をみると、本件委任契約の目的は前記二1(二)記載のとおりであるが、本件土地建物を処分して始めて本件委任契約の依頼の趣旨に適うということができ、これがない限り依頼の目的又は本旨を十全に果たしたとはいえない。

右の観点を考慮し、さらに、本件委任契約に基づく事務全体と本件残存事務について、その内容又は難易、従前の控訴人の委任事務の実施内容と進行状況、これに要する労力、費用及び期間等諸般の事情を比較衡量すると、控訴人が本件委任契約に基づいて履行済みの事務の割合は、依頼された事務全体の九割と評価するのが相当である。

(四)  以上によれば、本件委任契約終了当時において、控訴人が被控訴人に対して請求できる報酬請求権は、その時点における本件土地建物の時価の一〇〇分の三六に相当する金員であるというべきである。そして、当審における鑑定の結果によれば、右時点における本件土地建物の時価は、四億一八九七万七〇〇〇円と認められるから、控訴人が被控訴人に対して請求しうる報酬額は、その三六パーセントに当たる一億五〇八三万一七二〇円と認められる。

5  (立替費用)

控訴人は、本件委任契約に基づいて立替金合計一五七万〇二二九円を請求する。しかし、本件委任契約によれば、控訴人が被控訴人に対して、立替費用相当金を支払うよう請求し得るのは、本件委任契約に基づく事務の処理が成功裡に完了したときに限ること、ところが、本件委任契約は半途において終了し、完了する余地がなくなったことは前記認定のとおりである。そうである以上、本件委任契約に基づく立替金請求も、条件不成就の確定によりもはや消滅したといわざるをえない。

なお、仮に本件立替金支払請求を民法六五〇条に基づくものと理解したうえで、この場合においては、前記の成功払いの条件に関する特約の適用はないと解釈するとしても、既に説示したように別件控訴審の口頭弁論終結時において、控訴人が本件委任契約に基づく立替費用支払請求権を有していないことに既判力が生じているところ、立替費用は、報酬請求権とは異なり、その費用を支出した後は直ちに請求することができるものとなるから、既判力の基準時以降の事情についてなんらの主張のない本訴における請求は、別件控訴審判決の既判力に触れるというべきである。

6  (一部弁済)

<書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、控訴人は、昭和五二年一〇月までに、磯村及び鈴木とめから損害金等として支払を受けた金員のうち、五五〇万円を自らの報酬に充てたことが認められ、右金額は前記報酬に充当されたというべきである。

五結論

以上によれば、控訴人の本訴請求のうち、第一請求は理由がないから棄却すべきであるが、当審で追加された第二請求は、控訴人が被控訴人に対し、報酬金一億四五三三万一七二〇円及びこれに対する昭和六一年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は失当である。

よって、本件控訴を棄却することとし、控訴人の当審における第二請求を右の限度で認容し、その余の第二請求は失当であるから棄却することとし、民事訴訟法三八四条、九六条、八九条、九二条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官岡田潤 裁判官安齋隆 裁判官森宏司)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例